「山下たろーくん」シリーズの漫画家、こせきこうじ先生が昨年秋から下北沢の路上で色紙を売っている。
一昨日、これを知った時は腰が抜けました。
上のインタビューによると、収入云々より「読者の声を聞く」のが目的だそうです。
それを裏付けるのが、2001年から開設しているウェブサイト。
移転に失敗してしまったのか現在は半休止中ですが、BBSやお絵かき板、たろー語を話すチャットボット(!!!)もあったようです。
田舎っぽさを強調したアナログな作風のこせき先生が、
ブログ普及よりずっと前から、
当時の先端技術で、漫画家と読者の距離を詰めようとしていた。
この事実に今度はリプトンのアイスティーを吹きました。
性格上、客観的な前置きになりましたが
20年前に週刊少年ジャンプで連載していた「山下たろ~くん」は、私にとって重要な位置を占めている漫画です。
たろ~並にKYだったせいで転校先でうまくいかなくて、学校に行くのも嫌だった中学時代の支えになった作品です。
Web上でははじめて書くことなんですが
旧コミックスに、当時14歳の私の痛いファンレターが掲載されてます。
センバツ編が始まった頃に募集していた「史上最高のボール」で「サヨナラ台風ボール」が入選してたりします。
あのふざけたボールを考えたのは、実は姉なのですが(私のネタは落選)、
なんとなく名義を統一したばかりに転校前・転校後の学校両方で笑われてしまい、景品のウォークマンと引き換えに酷い目にあいましたwww
こせき先生はこのとき「サヨナラ台風ボール」のイメージを、姉のイラストに忠実に描きおろしてくださって、感動したのを覚えてます。
つまりファンだったのです。
しかし、次作の「ペナントレース やまだたいちの奇跡」が終わった辺りから、私はだんだん、こせき先生の作品が読めなくなりました。
社会に出たものの仕事はうまくいかないし、
打ち込める人生の目的も見つからないし(ゲームと編み物は好きでしたが)、
「ひたむきに生きようとしたつもり」でも報われないし、
それ以前に、正直な話、周りが「うわぁ」と思ってるのも顧みず暴走する描写に付いていけなくなったのです。
漫画への興味がなくなったこともあって、たろ~くんも含めて持っていた蔵書は全部手放しました。
ここ数年は、バンチで連載していた編集部編を、コンビニで立ち読みしたくらいです。
30歳を過ぎてやっとWeb制作の仕事にたどり着き、
いろいろ身辺が忙しくなって、
ふと、たろ~くんに会いたくなりました。
長島一郎に会いたくなりました。
山田兄弟に会いたくなりました。
で、検索して見つけたのが冒頭の話です。
色紙売り以来、沢山のファンが先生に会っているようで、昔の思い出や今の作品の話、喜びの声が続々アップされています。
(これも目的のひとつだったろうと思います)
しかも、こせき先生は今、初の恋愛漫画を描いてます。
死んだような凪 | こせきこうじがまんがタイムジャンボでラブストーリーを描いてる!必読!
今年で50歳になるはずの今でも、新しいことに挑戦したり、
漫画家と読者のつながりを模索したり、ひたすらに突っ走っておられる。
あれ…読者の私はどうなんだ?
と思い直してしまいました。
古本でもいいので、単行本をちょっとずつ買い戻そうと思います。
来月上京したときは、ダメ元で下北沢に寄ってみようと思います。
できれば直接、当時のお礼を言いたいのです。
色紙をいただいて
わー うまーい!
(大中央学園:高木の妹)
と言ってみたいですがだめですか。
だったら僕は 史上最高のすんげーボールを投げる
(大潮商業:棟方兄)