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ゲームを通して知る、「心のバリアフリー」インクルーシビティについて

世界中でヒットしている新作ゲーム「Cuphead(カップヘッド)」がお気に入りです。

1930年代のアニメーション技術、ジャズ、1980年代のガン&ラン(ロックマンとか)を21世紀のテクノロジーで融合させた、文化的にも価値の高い作品ですが、とりあえず、某ネズミの首だけすげかえたような主人公が、ゲーム開始前に悪い顔をしながらパンツずり上げる仕草で胸が苦しいです(* ´д` *)

…と、この記事は、お仕事とは関係ない内容になるはずでしたが、マーケティングとアクセシビリティとあわせて頭に入れておきたい、国際的な問題の話を紹介します。

「難しすぎてすべてのステージが見られない」論争

お気に入りです、と書きましたが、まだ買うかどうか迷っています。

難しすぎるからです。

Cupheadは、何度も何度もやられて体で覚える、ファミコン時代の理不尽なゲームを再現している「マゾゲー」です。

クリアできたアクションゲームが「スーパーマリオランド」「ヨッシーアイランド」「星のカービィ」の3作のみという私では、最初のステージさえクリアできる自信がないのです。

「難しいから遊べない」という状況は普通だと思っていたのですが、海外のゲーム批評家の間では

「全年齢向けの良い作品なのに、難しいステージをすべてクリアしなければすべてのコンテンツが見られないような排除を行っているのは、非常に残念だ」

という論調があるようなのです。

『Cuphead』の高難度なゲームデザインは排他的であるとの議論が勃発。創作の自由と楽しみ方の自由を天秤にかける | AUTOMATON

http://jp.automaton.am/articles/newsjp/20171010-55733/amp/

When is exclusion a valid design choice? – Polygon (English)

https://www.polygon.com/2017/10/4/16422060/cuphead-difficulty-exclusion

Cuphead review – Polygon (English)

https://www.polygon.com/2017/9/29/16381614/cuphead-review-xbox-one-windows-pc

これは今にはじまったことではなく、最初の記事中の説明のとおり、数年前からゲーム業界に起きている流れです。

今回はじめて知ったのですが、「インクルーシビティ(包括性)」というそうです。

ユニバーサルデザインの原理のひとつです。

心理的障壁の排除

私たちウェブ制作者が聞き慣れている「アクセシビリティ」が、物理的な障壁を除く原理であるのに対し、「インクルーシビティ」は心理的な障壁を除く、「誰でも歓迎する」原理であるそうです。

例えば、公的なウェブサイトが、明確な理由もなく、男性もしくは女性しか想定していない、他方の性別は閲覧がはばかられるようなコンテンツを作ったら問題があります。

ポリティカル・コネクトレスにつながるものですから、LGBTや宗教なども考えられます。

ウェブコンテンツで考えると、年配の人も見る可能性があるコンテンツで「ダイバーシティ」「プライオリティ」「コンセンサス」などの外来語を多用することは、大きな心理的障壁となるでしょう。

アメリカのゲーム業界では、「無料で選択できる初期キャラクターが男性だけで、女性キャラ追加が有料なのは強い抵抗を感じる」という12歳の少女の意見を受けて、女性キャラが追加されるという出来事がありました。詳しい経緯はこちらの記事が詳しいです。

マインクラフトが突然女性キャラクターの配布を決定、その理由とは? – GIGAZINE

http://gigazine.net/news/20150428-minecraft-girl-skin/

(タイトルのMinecraftとは直接関係ありません)

アクションゲームが遊べない=「アクションが下手」というのには、様々な理由があります。手や目の機能に障害があることだけでなく、反射神経、集中力、学習能力が鈍いのも障害と言えます。

そういった人たちに、自分には無理だという心理的障壁を与えてはいけない、というのです。

ターゲティングを行ってはいけないのか??

私は、女性キャラを無料で選べない件は理解できるが、Cupheadの件は、行き過ぎだと感じています。

Cupheadが義務教育の必須項目だったら(※)別ですが、これはあくまで娯楽であり、自由選択のコンテンツだからです。また、Cupheadはゲーム配信を規制していませんから、YouTubeなどを検索すると、画質は落ちるものの、すべての画面を見ることができます。

コンテンツに明確なコンセプトを持ち、ターゲットのペルソナを練ることは、ウェブに限らずマーケティングの根幹です。行き過ぎた平等主義は、コンテンツの個性や経済にも影を落とすように思います。

※私が心理的障壁を受けまくっていた、体育のバスケットやソフトボールの授業はどうなるんだとも思いますが…

今のところ、ここまで細かい話は、日本までは来ていませんが、女性を性的対象として描いていたり、女性の社会参加を妨げるようなコマーシャルが批判を受けて削除されることが多くなりました。

コンテンツを作る際に、どこまでを「インクルーシビティ」と定義するのか、また、特定の属性の人を排除していないか、これからの時代は、常識の範囲以上に気を配る必要があるでしょう。


余談ですが、登場キャラクターが世界のオタクたちに受けて、なんでそうなったレベルの美化とか、植物ボス二体の絡みとか、ドラゴンボスの女体化とか、妄想力に笑ってしまう二次創作が毎日作られています。

法的に問題がないのなら、こういう妄想を制限したり、心理的に排除することも、やはり、やってはいけないのです。