【毎日新聞】 「お前アイヌだろ。気持ち悪い」「あそこの家はアイヌなんだよ」…今なお消えぬ格差、「血」隠す苦悩…北海道
「今どきこんな露骨な差別はない」「また毎日か」「権利団体の意図を感じる」などなど。
道民歴=年齢=33歳の私が来ましたよ。
道民として、先住民族の件について知ってることを書いておく必要があるな。
子供の頃とか現状とか
10歳まで道東に住んでいたけれど、他の人たちが書いている通り、アイヌに対する明確な差別とかいじめというのは遭遇したことがない。
クラスに何人かは、血を引いていると思われる子がいたけれど、全く普通の友達で、むしろとろくさい私の方が時々男子に小突かれていた気がする。
街の資料館には民族衣装が展示されていたし、アイヌ文化やお祭りに関しても、このころにはもうだいぶ復刻運動が進んでいた。
私の知らないところであるとしても、それは「アイヌだから」というだけのいわれのない純粋な民族差別というよりは、ブサイク・デブ・とろくさい・きもい・ヲタに付随する、DQNによるガキのいじめの一属性のように思う。
もちろん北海道のいじめ問題は深刻で、私もそれでろくな目に合わなかった一人なのだけど、いじめる側がダシに使っているだけであれば、それは「差別」とは性質が違うと私は考えている。
ただ、私の親の世代(60歳~70歳)になると、差別的な意識は根っこの方で存在しているし、そういう言い回しを耳にしたことはある。
なんか盗られるんじゃないかとか、
ちょっと汚っぽいのよねーとか、
関わるとめんどくさいことになりそうねとか。
それは最近までアイヌの人たちが貧しい暮らしをしていたことによる「負のスパイラル」がまだ親の代の意識に残っているからで、少なくとも私の周辺では、子供の代、孫の代に受け継がれてはいない。たぶん。
件の記事を書いた毎日の記者は、権利団体が絡んでいるか、脳内が親の世代の構造なのかと道民に思われてしまうのは、無理もない話である。
社会科の資料に重要なヒントが書いてあった
中学の社会科の授業のときに、教科書とは別にプリントが配られたことがある。
実際に差別いじめを受けたアイヌの女の子の手記だった。
かなり具体的な手記で、十勝地方のある街の名前も書かれていたがここでは割愛。
覚えているのはこんな内容。
- 学校を休んだ日に、先生がクラスのみんなに「○○はアイヌだ」と勝手にカミングアウトしたのがいじめのきっかけ
- きもちわるい寄るなと言われたり「Only you」の節で
「アーイーヌゥー アッイヌッ アアアアアアイイイイヌウウウウウウ」
と耳元で延々と歌われたり
(すいませんここちょっと笑ってしまった) - 地元の高校の学校祭を見に行ったら、門の前にいた高校生たちに「アイヌは学校に入ってくるな」と文字通り門前払い
「Only you」が出てくるってことは、これ相当古い話なんじゃないのか…と思うのだが、これの数年前に石屋製菓が「白い恋人」のCMでオールディズの名曲を起用してて、「Only you」もあったと思うので、もしかすると80年代前半辺りの話かもしれない。
この話に重要なくだりがある。
そもそものきっかけが
「先生がみんなにしゃべった」
ことなのだ。
それが事実だとすると、先生の意図がアイヌ民族史に関する教育の一環だったとしても(勝手に言うなんて論外だが)全くの逆効果で、
彼女とクラスメートの間に明確な線引きをしたことが、いじめのトリガーを引いてしまったことになる。
差別という言葉が、新しい差別を作っている。
そもそも「差」を意識したり、意識させる環境を作らなきゃ差別という文化は生まれないんじゃないのか。
その資料のことと、私以降の世代の現状と、今回の毎日新聞のことで、私はそんなことを考えている。
だからってナコルルはない
件の記事に対して、サムライスピリッツのナコルルを引き合いに出したやつが、検索した限りでは100人くらいいる。
確かにナコルルは、アイヌ民族の周知・イメージ向上という意味では、萱野茂、知里幸恵級の功績がある…のだけど、多くの道民が突っ込んでいる通り、
純粋なアイヌ民族のシャーマン女性はあんな容姿にはならない。
極端な神聖化・規格化は、別の方向の線引きと差別を生む。
語弊があるのを承知で書くと
お前ら、髪がごわごわしてて、ちょっと毛深くて、
口の周りが青く塗られてて、
(一部のアイヌ女性には口の周りに青い刺青を入れる習慣があった)
顔のパーツも体形もがっちりしてる、
茶色ベースの衣装をまとった
「ナコルル」を同じように受け入れるのかと。
「Mirror’s Edge」のフェイスを萌え化した話と同じ匂いがする。
「今も差別がある」という人たちは、「事実の隠蔽と風化だ」と言う。
辛い過去を次の世代に「現状」として伝えていこうとする。
しかし、大多数の人間が「あったが今はない」「差別を意識する場面がない」と胸を張り、それを次の世代に伝えていく今の社会は、私には民族差別問題に対するひとつの答えであるように思う。
私の知人はアイヌの伝承を朗読会に使用しようとしたところ、某団体と面談することになったという。
もちろんまっとうな目的だから快諾をいただいたのだが、
面談と許可なんか必要ないのが普通なのである。